テー社長が出来るまで
自称2006年生まれ、ラオスの少数民族出身者で学校も行ったことない、掃除も料理も教わったことない子が、どのような経緯で日本人である私と出会い、ビジネスを始めることになったのかを書いてみようと思います。
第1話 出会い
2022年、タイで2年間、コロナ騒動で生活が成り立たない人々を支援していた私は、コロナが収束するタイミングで、タイでの生活を終え日本に帰ろうとしていました。
帰国前、タイのコンケーン県のトンタンマーケットで商売をやっていた時に働いてくれていたラオス人スタッフの子に会いにラオスへ行きました。
このときが初めてのラオス。
夕方ビエンチャンに着き、リバーサイドのホテルにチェックイン後にトゥクトゥクに乗ってその子が働いていると聞いた場所に向かいました。
後から知ることになりますが、そこは俗に空港置屋(ハンノイ)と呼ばれる場所でした。
元スタッフの子は食堂で串焼きを焼いており、その食堂で食事をしていた16:30ごろ、店主(後からそれがやり手ババアと言われる人と知ります)から、丁度いまビエンチャンに来た子が居るので一緒にテーブルで食事させて欲しいと言い、連れて来られたのがテー社長とテー社長の友達でした(友達は腕に葉っぱのタトゥーがあり少しヤンチャな印象)。
私はテー社長とカタコトのタイ語で色々と話をしたところ、友達に誘われビエンチャンにカオピャック(ラオスのラーメン)のお店で働くと言っていました。
しかし、その友達はテー社長に嘘をついてビエンチャンにテー社長を連れてきたのです(テー社長はお母さんにもカオピャック屋で働くんだよと言われていたようです)。
周りの全員に嘘を聞かされビエンチャンの置屋に連れて来られた子なのです。
ご丁寧にワクチンを3回打った証明を首からぶら下げていました。
これが私がテー社長との出会い、初対面から10分後くらいのことです。
ロウソクをつけてご飯食べました。なぜロウソクだったのかな?
第2話 真実
私は、2人とやり手ババア、ラオス人の元スタッフの子5人で串焼きを食べビールを飲みながら話をしていました。
食堂置屋ですが、単純に食事だけを楽しんでいたのです。
いろいろな話しをているうちに、元スタッフの子がテー社長にここ(置屋・ハンノイ)での仕事のことを話しました。
仕事の内容を知ったテー社長は、友達に烈火の如く怒り出し、家に帰ると言っています。
しかし、テー社長の所持金はたったの20,000キープでした。
やり手ババアは早くお金を稼いで帰りなさいと言ってなだめますが、それがいつものパターンなのでしょう。
その間に説得して働かせるのです。
300,000キープあればバスで帰れます。
もし仕事が嫌で帰ってきても良いならば、親もそのくらいのお金は渡すと思います。
1食しか食べれないお金を持たせ、ビエンチャンへ送り出したんです。
全員がグルなんですね。
第3話 ナイトマーケット
テー社長の所持品はビニール袋に着替えを詰めただけで、着替えも1日分くらいしか持っていませんでした。
その後はやり手ババアからお金を借りて買うことになるようでした。
そうやってどんどん借金が積み上がるのでしょう。
私は初ビエンチャンでしたのでナイトマーケットに行くつもりでした。
テー社長を連れてナイトマーケットへ行き、生活用品や服を買ってあげることにしました。
テー社長がパジャマから着替えたのはこんな服でした。
ラオスの田舎で売ってたのか? それとも貰ったのか?
私はまともな服をたくさん買いました。
一緒にマーケットで食事をしながら、テー社長はお母さんに電話しています。
何を話しているのか分かりませんが、怒っていることはわかります。
そして泣き出しています。
(この時テー社長は友達と絶交状態でした。後から知るのですが、友達は1度ビエンチャンで働いていたようです。おそらくハンノイだったのでしょう)。
私はラオス初日にして、まいったなぁと考えていました。
第4話 暴れん坊
翌日、テー社長が落ち着いてきたところでスクーター(後日ホテルに停めてある間にぶっ壊されて弁償する)をレンタルしテー社長を送り返しに行きました。
私は食事の際にテー社長に1,000,000キープを渡し、最悪の場合田舎に帰れるようにしておきました。
案の定、テー社長はやり手ババアと口論になってしまいます。
(今思えば初めて会った時から暴れてます)。
テーブルの上のものを投げ捨てて怒っています。
(今思えば初めて会った時から乱暴です)。
そこでやり手ババアがこの子は要らないというようなことを言い出し、手に負えないので、私にこの子を連れて行ってくれと、そして1,000,000キープを払えと言います。
きっと、この子が田舎から来るための立て替えた経費を回収したかったのでしょう。
とりあえず暴れん坊を連れて帰ることにしました。
※私は後にも先にもこの時以来ハンノイ、置屋などに行ったことありません。テー社長とケンカし暴れている時に逃げ出し、ハンノイに居るというお客さんと店先で飲んだことはありますが。
ここから大変なことになっていきます。
さて、この子をどうするのか?
お母さんともケンカしているし、友達もビエンチャンにいない。
私は3泊の予定でビエンチャンに来ており、バンコク経由で日本に帰るチケットもバンコクでのPCR検査の予約も持っています。
途方に暮れながらも、若い子はピザが好きだろうとイタリアン料理を食べに来ましたが、テー社長はピザには見向きもせず、路上で買った玉子焼きご飯を食べています(この頃から玉子命とスーパー偏食)。
昨日買った服を着ていますが、今と選ぶ服が全然違いますね。
腕の時計は動いていません。
第5話 独り立ちへ
3日目になりました。
さて、この子をどうするのか?
考えましたが、私はまだラオスの事を何も知りません。
1.とりあえず部屋を借りて住む場所を与えよう。
2.スーパーやコンビニなどの働き口を探そう。
3.当面のお金を渡して帰ろう(ラオスの平均収入を調べました)。
ラオスで唯一世間話をした、テー社長のSIMカードを買いに行ったタラートサオ(ショッピングモール)のスマホ屋のお姉さんに部屋を探してもらおうと相談してみました。
そこで紹介されたのが、今も住んでいる優しい大家さんのアパートです。
(スマホ屋のお姉さんからは一年10,800,000キープと言われましたが、後に大家さんから本当は8,000,000キープだし来年からそれで良いと言われます。お姉さんもずいぶんとコミッションを乗せたものです。別途部屋探しのお礼として1,000,000キープも渡しているのですが、親切はただではありませんね)。
この大家さんは後にテー社長のお母さん的存在になり、今でも大好きなクンメー(お母さん)であり、その後ドラム仙人(ファンキー末吉氏)がここでライブすることになります。
縁ってあるんですね。
私は大家さんに事情を話し、大家さんにテー社長の生活費を渡し1年間面倒みてくれるように頼みました(子供に大金を預けたら危ないと思いました)。
そして、タラートサオでの仕事を探して欲しいとお姉さんに頼みました。
さらに、仕事に行くためのスクーターを悪徳中国人から無登録車を買いました。
第6話 日本へ帰国
エアコンと温水シャワーをタラートサオに買いに行きました。
この時もスマホ屋のお姉さんの紹介で買いましたが、今思えば30%以上高く買わされていました。
テー社長は寝具に大喜び。
これもお姉さんが相場の倍の金額で手配。
お姉さんは盆と正月が同時に来た感じでしょう。
私は何度もテー社長に聞きました。
『本当に1人で大丈夫?』
『田舎のお母さんのところに帰る選択肢もあるよ?』
『仕事しないとお金がなくなるよ?』
などなど。
テー社長は何でも1人で出来るようなことを言います。
今思えばこの時から自信過剰だが何も出来ない、包丁持ったことない、計算機使ったことない、なんと後にスクーターに乗ったこともないことを知ります。
購入したポンコツスクーター(後に盗まれる)は様々な問題を起こします。
アパートの大家さんも、面倒見るから日本へ帰りなさいと言ってくれます。
そして私は予定通り日本へ帰国ました。
日本へ帰ってからが、さー大変。
第7話 IDの無い子
私が日本にいる間、テー社長と大家さんからずっと電話がかかってきます。
・バイクで事故して大怪我した。
・身分を証明するもの(ID)が何も無いから仕事が出来ない。
・銀行口座も持てないし、ウエスタンユニオンでお金を受け取ることも出来ない。
(その後18歳未満は身分証があっても受け取れないことを知り、タラートサオのお姉さんに送金してテー社長に渡してもらうが、ウエスタンユニオンとお姉さんとダブルで手数料取られる)。
・大家さんからどうやらご飯を食べていないようだと連絡がくる。
・ずっと泣いていると連絡がくる。
私はこの時にこう思いました。
私がこの子にしたことは、本当に正しかったのか?
あのままハンノイで働いていた方がこの子のためによかったのではないか?
このままビエンチャンに居て、友達も出来ないままで本当にこの子のためになっているのだろうか?
私は大家さんに連絡して、学校に通うことが出来ないか相談してみました。
英会話でも美容師訓練でも料理教室でも良いと(大家さんは高校の先生でダンス部の顧問だったのです)。
しかし、大家さんはあの子は学校は無理だと言います。
何故なら言葉をあまり理解しておらず、使う言葉も方言がキツくていじめられるだろうとのことです。
確かに当時、テー社長と食堂へ行ってテー社長が若い女の子の店員に注文すると店員全員クスクス笑います。
そして、テー社長はさらに内に籠るようになります。
ここにも差別があるんですね。
最大の問題は、IDが無いことで就職が出来ないということです。
現在私は、IDを持っていない子を雇い入れ、IDを取得させる活動をしています。
そして、この時から麺類しか食わない偏食テー社長。
第8話 再度ラオスへ
私が日本に戻って1ヶ月でテー社長に渡しておいたお金がゼロになったことを知ります。大家さんに渡してあるお金はまだありますが、それはテー社長に秘密にしていました。
テー社長は私に内緒で実家に戻り、お母さんに全てのお金を巻き上げられてビエンチャンに戻されていたのです。そのため、大家さんがあの子はご飯を食べていないと言うのです。
やはり仕事をさせないと生活出来ないと、大家さんに頼んでIDカードとパスポートを取得させるようにお願いしたところ、IDカードは生まれ故郷に帰って作らなければならないと言われました。
テー社長は再度実家に帰り発行まで1週間ほど待ち、そしてビエンチャンに戻りパスポートを取得しました。
これが未成年だとバカ高いらしい。
『らしい』というのは、本当に大家さんに渡してあったお金が全て無くなるほどの値段だったのか?
私は、また親に金を巻き上げられてビエンチャンに戻ったと今でも思っています。
そして置いていったお金(ラオス人の平均年収の3倍)が無くなりました。
今度はIDもパスポートもあるので、ウエスタンユニオンで送金しましたが、先述の通り未成年は受け取れないと言われ送金キャンセルになってしまい、いろいろ考えてタラートサオのお姉さんに送金してお金を渡してもらうように頼みました。
IDを手に入れたテー社長の就職活動が始まります。
今思えば、この子を雇うところなどあるわけない。
計算出来ない、話が出来ない、面接で受け答え出来るわけない(今でも出来ないけど、面接する側は横柄だが出来る)。
そして毎日泣いて過ごす日が続きます。
私はどうにも心配になり、息子の夏休みを延長して一緒にラオスへ様子を見に行くことを決断します。
写真はYouTubeで紹介した3,300,000キープのパンダさん 。
テー社長は息子と意気投合してとても楽しそうで、バンビエン、ルアンパパーンも行きました。
ルアンパパーンでは民族衣装を着て写真を撮りました。
テー社長がFacebookで探して手配しましたが、テー社長はタイバーツの価値を知らないので、2日かかりのプロのカメラマンとスタッフ7人のコースに。
ハイ、28,000バーツ也。
一瞬、死にそうになりました。
第9話 めぐり合わせ
息子は1人で日本に帰り、私はラオスに残りました。
当初の予定は、無報酬でも良いから仕事を探して通勤させようと思っていました。
嘘みたいな本当の話。
仕事を探して最初に行って話をしたのが、今のムーガタ屋があるあのお店だったのです。
しかしコロナ明けでお客さんも少なく断られました。
お店の方は、屋台を出して何か売れば良いと言いました。私は2年間タイで寅さんやってましたので得意分野です。当時1区画1,000,000キープでした。
そのため私は今のムーガタ屋の場所に思い入れがあり、あそこでテー社長と商売することに意味があったのです(スポンサーさんごめんなさい。必ず成功させます🙏)。
その後も他の場所へ行って働けないか尋ね歩きましたが、どこへ行ってもコロナ明けで人出は少なく、まだ経済が回復していない状況、ましてやテー社長なので雇ってくれるわけありません。
次に、美容学校ならば興味があるようなので美容学校へ話を聞きに行きました。
そこは授業料無料とのことでしたが、ものすごい数の生徒が居て、卒業後に就職するにしても開業するにしても難しいなと思いました。
ある日アパートの近所のランドリーに洗濯物を出したら、丸ごと洗濯物がなくなってしまいましたが、コートーコートー(ごめんごめん)で済まされてしまいました。
頭にきたので、すぐ近所で洗濯屋を開業したのでした。
やっとテー社長の誕生です。
そして、私が日本へ帰っても淋しくならないようにキーキー部長を隣のお店からお迎えしました。
そしてちょうどこの頃、レンタカー屋の店名の方と出会うことになります。
私の生い立ちをお話ししたら、「お前の人生はフーテンの寅さんだな」と言われ、寅と呼ばれるようになります。
洗濯なら出来るだろうと思いましたが、なんと掛け算と足し算が出来ないことを知ってしまい、値段をお客さんに伝えられません。
1+1=を教えることから始まったのです。
第10話 スクールウォーズ
2022年10月末、洗濯屋でテー社長の始めてのお客さんはラオス人の男の子と女の子の2人組でした。
今でも覚えていますが3キロの洗濯物。
彼女が取った行動は、お客さんが「いくら?」と聞いているのに、回れ右してトイレに行ってしまいました。
お客さんはビックリした顔で私を見ました。
私はお客さんに金額を伝えて洗濯物を預かり、テー社長に「お客さんと話をしている最中に何故トイレに行くんだ」と詰めてしまいました。
私は、その原因をまだ知りませんでした。
私は、まさかテー社長が3✕ 7,000キープが分からないとは思ってもいませんでした。
テー社長は泣きじゃくり、冷蔵庫からビアラオを取り出してラッパ飲みしたのでした。
テー社長は初めて飲んだビール、そして急性アルコール中毒になりひっくり返ってしまいました。
そしてムクっと起きて包丁を持って私に襲いかかって来ました。
お店の中はメチャクチャで、嘔吐物でいっぱいになり、私は水をいっぱい飲ませてアパートまで戻り大家さんを呼んで来ました。
大家さんを呼んで戻ってきたら、テー社長は素っ裸で血だらけ、私も腕を切られて血だらけ、 ビール瓶で頭をかち割られています(しかしよく見ると、この頃から玉子がありますね!)。
大家さんは何か薬を飲ませ眠らせてしまいました。
今思えば、テー社長はこの時から癲癇のような症状があり、何か気に入らないと全てを壊して全てを無かったことにしようとします。
翌日、秤を持ってきて金額の決め方を教えましたが、テー社長は計算機アプリどころか計算機を見たことがありません。
+も-も=も、全ての記号の意味を知らないことに気付きました。
そこから私たちの算数教育が始まりました。
しかし、人に何かを教わったことがない16歳の人間を、30分間椅子に座らせるということが非常に難しいことを知りました。
当時知り合いに相談した時、私は彼に6歳児以下の知識と人間性を持ち合わせていないとメッセージを送っていますが、本当にそのように思いました。
今でもテー社長はこの洗濯物の計算ができないかもしれません。
今は計算にかかわらない技術を覚えてしまいました。
ローカルエリアでオープンした洗濯屋が大赤字だったことは確かです。
しかし、私は洗濯屋を始めたことを後悔していません。
私の目的は、仕事をしてお客さんからお金を得るということを教えたかったのです。
そして、今のテー社長に繋がっていると信じています。
テー社長は900と100の線を書いて1,000まで数えるそうです。
第11話 平和な日々
洗濯屋のお客さんは1日2件程が1ヶ月続きます。
ラオスではまだタイのように、洗濯物を洗濯機のある場所へ持って行って洗うという習慣がないようで、ビエンチャン最大のお祭りタートルアン祭りに行った際、タライ屋の屋台が数軒出ているのを見て、こりゃ洗濯屋はダメだな思いました。
お客さんもあまり来ないので、勉強と料理を教える日々が続きます。
テー社長は料理どころか包丁の持ち方も知りませんでした(今でも教えた通りに持ちませんので、ソムタムなどはだいたい血の味がします)。
テー社長曰く、生まれて16年間インスタントラーメンとカオニャオ(餅米)だけを食べていたと言います。
それならば、カオニャオくらい作れるだろうと思い餅米を5キロ買ってきました。
私『市場で鶏肉を買いに行ってくるからカオニャオを洗っておいて』
テー社長『オッケー👌 』
市場から戻ってくると、5キロ全部を洗米していました。
田舎では本当に何もせず、誰にも何も言われることもなく、部屋の中でティックトックを見続けていたんだと確信しました。
近所の人たちとも仲良くなり、全く売り上げは無いですが、平穏な日々が続きます
10月からはタートルアン祭りやオークパンサー、ホームパーティーなど楽しいイベントが盛りだくさんありました。
テー社長は全てが初めて見る光景で、目をキラキラさせながら歩いていたことを鮮明に憶えています。
アパートの大家さんファミリーにも誘っていただき、毎週パーティーをしていました。
大家さんの高校の生徒たち(テー社長と同じ歳)のダンス披露などにもお呼ばれしました。
しかし、私はこの時とても複雑な心境でした。
かたや50過ぎのオッサンと算数と料理の勉強しながら他人の下着を洗って干す仕事、かたやハイソな学校に親の高級車で通い、英語・中国語・日本語を勉強してダンスのレッスンをしている。
この時テー社長はどういう気持ちだったか、もう少し時間が経ったら聞いてみたいです。
パーティの時の服装が格差を物語っています。
私が着替えるように言っても、テー社長にとってはこれが正装のようで、頑なに着替えません。
そりゃそうですよね、ビエンチャンの同じ歳の子たちを見たことないのですから。
テー社長は、近隣から日本人と共同生活している田舎者と認知され、可愛がられるようになります。
最近では、うっかりお金を持たずにカオビャックをお持ち帰りで買いに行き、お店の子達に『ボーペンニャン(気にしないで)、次来た時で良いよ』と言われたと誇らしげに話をしてくれました。
今では、大概のところはツケで買い物と食事ができ、いつも誇らしげに『ボーアオ タン(お金は後で払っても良い)』と言っています。
それは私の地域貢献と、色々な方々と親睦を深めてるおかげなんだよとは言いません。
2ヶ月が経ち、テー社長の算数もだいぶ進歩しました。
勉強中を教えている最中につい、『こんなのもまだ分からんか!』と怒鳴ってしまい、逆にオッサンが傷だらけになる日々が続きます。
この頃が1番平和だったと思います。
でも、テー社長はここまで出来るようになったんですよ!
第12話 レンタルバイク
大家さんファミリーには、テー社長の人間の基礎的なことを教えてもらいました。
大家さんを通じて出会った皆さんと、あのドラム仙人・ファンキー末吉氏とセッションする日が来るなんて思いもしませんでした。
タラートサオのスマホ屋のお姉さんから始まった縁に本当に感謝です。
テー社長もだんだんと自分に自信がついて、無駄に堂々とするようになりました。
今ではさらに進化し、超ブラック企業の社長にまでなり、選ぶ服装も変わってきました。
相棒のキーキーもテー社長といつでも一緒にいるようになります。
子犬の時はなんだって可愛いんですよ。
今は大きくなってしまいましたが、テー社長には変わらずキーキーを愛して欲しいです。
11月末、テー社長は洗濯の仕事も料理も心配なくなってきました。
私も洗濯屋でぼんやりしていても仕方ないと思い、何か仕事でも行こうかと情報を収集し、ある企業に就職します。
しかし、私が仕事に行き出した2日目、テー社長の移動手段のスクーター(ホンダ・ズーマー)が、お店の前で盗まれてしまいました。
アパートからその会社までは少し距離があり、小さいキーキー部長を連れて出勤するのは不可能で、買い物で市場にも行くのも大変になってしまいました。
テー社長は生まれて初めての高額な買い物であるスクーターが盗まれずっと泣いていました。
最終的には外に置いてあった物(看板・オモリのタイヤ、カオニャオを炊く釡、ホウキ、ハンガー、バーベキューグリルなどなど)、全て盗まれてしまいました。
就職して3日目にして仕事に行けなくなり、辞めることになります。
その後仕方なく、電動バイクを約4万円で買うことになります(このバイクがレンタルバイク店の1号車となります)。
そして2023年12月23日、電動バイク3台を手に入れ、現在のお店のお隣になる和食店「大阪ハックチャオ」さんの軒先をお借りし、電動バイクのレンタル需要があるかを試してみると、数名の皆さまにお声をかけていただきました。
この時にご利用いただいたお客様は、今でもテー社長の成長を見守りつつビエンチャンに何度も足を運んでいただいています(私がちょいちょい炎上し、本当にご迷惑をお掛けしています)。
この時皆さまにご利用いただけなければ、私もテー社長も今ごろ何をしていたのか。
見当もつきません。